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学校の生徒会は、書記と会計という役割を設けている。書記も会計も、選挙で択ばれる。生徒の多くは、わけもわからず、外見や印象で投票する。そもそも、書記や会計がなにをおこなうのか解らないから、立候補しているひとが適うのか判らない。

わたしが生徒会長を務めていたとき、「どうにも判らないから、生徒が投票するよりも先生が指名してはどうか」という声が挙がった。学校としては、生徒に選挙のしくみを教えようとしていたのかもしれない。

たとえば日本の総理大臣は、国会議員が選出する。ここでも、国民が直接投票してはどうか、なんて言うひとがいるけれど、これは止めたほうが好いだろう。国民の多くは、なにも判らないままに、外見や印象で投票する。政策や公約よりも、背の高さや歳の若さで投票してしまう。

生徒会の会計は、金銭を勘定する役割とされている。ところが、その資質や能力は問われず、演説によって投票を促す。生徒会が扱う金銭をどのような目的に充てるのか、どれくらい金銭を扱うのか、は演説で明らかにされない。足し算と引き算さえ覚えていれば、だれでも勘定できる。ここでも、外見や印象で投票せざるをえない。

生徒会にかぎらず部活動も、会計という役割を設けている。この会計は部費を管理する。管理するといっても、財布を持っているだけ、財布を失くさないように気をつけるだけ、にすぎない。

でも、学校を出て、会社に入ってみて、ようやく判るのだ。「財布」を失くさないように気をつけられるひとは、決して多くない。財布のなかをかすめず、ごまかさないひとは、決して多くない。演説によって資質や能力は判らないかもしれないけれど、外見や印象からそれを見抜くことを教えようとしていたのだろう。