001|caeruleus

いつも、明日はなにをしようか、来月はなにをしようか、来年はなにをしようか、と考えている。明日したいことを思いついたら、今日のうちに備えておくことが判る。

若いころは、したいことよりも、しなければならないことのほうが多かった。明日しなければならないことは、明日のうちには了えられず、明後日もしなければならない。しなければならないことを繰り返していたらいずれ、したいことができるのではないか、と期待していた。その甘やかな期待は、はたして叶っているだろうか。

いまは、どうしてもすぐにしなければならないこと、は少ない。いつでもよいものばかりだ。それでも、順次に片づけている。自分の欲するものもあれば、組織の課題をふまえて自分の求めるものもある。いずれも、すべて自分のためにしていることだから、しなければならないというよりは、したいことなのだろう。

いつになっても、初手を動かすのは煩わしい。どうしても億劫で、なかなか初手を動かせない。のんびり珈琲を喫みながら油絵でも描いて過ごしたい。そのときは愉しいけれど、どうも前進していないような気分に陥って、無為を悔やむ。しょうがないなあ、と言い聞かせて腰をあげる。

いざ始めてみれば、けっこう愉しい。たしかに煩わしいけれど、手応えを感じられる。やっているうちに思いついたことは、つい優先してしまう。だから、仕掛かりのまま放っておかれる仕事も多い。あとで戻ってきて、やりなおすことになるが、そのときにはもう、しなければならないことになっている。仕掛かっているから投げ出せない、と言い聞かせてまた腰をあげる。

幼いころは、そのまま投げ出していた。たくさんのことを思いついて、新しいことばかりに手を伸ばして、ちっとも進まない。そのうちに熱も冷めて、手に取るのも億劫になってしまう。こんな経験を重ねて、完了しなければ前進しない、と学んだ。たまに成し遂げてみると、前進を実感できる。

幼いころと比して、進化したわけではない。退化して、思いつくことが減ったのだろう。たしかに退化ではあるけれど、折り合うようになった。

「しなければならないこと」はすべて、じぶんが「したいこと」だ。