002|#FF0000

どういうわけか、多くのひとが「上昇志向」を正しい姿勢と信じている。「結果はどうあれ、いつも成長をめざす」というのは、いささか無責任な綺麗事に感じる。

たとえば、肉体の成長は、人生の前半の二割あるいは三割にすぎない。そのあとは、体力を「維持」するのが大方だろう。社会も、これに変わらない。資本主義も民主主義も自由主義も、すでに成長しきっている。成長したあとは、もう成長できない。

「維持」という言葉に恰好の悪さを感じるのは、成長の名残かもしれない。「維持」は、現代における動向や志向の基本でもある。これを疎んじる指導者は信頼を得がたい。だから為政者も、ことさらに改革を叫ばなくなりつつある。

今のままで好い、というのは、言い換えれば「保守」となる。しかし、この保守という言葉は、後ろ向きな印象を伴う。なんとなく、保守よりも革新のほうが美しいように思えてしまう。これも誤った感覚かもしれない。

今世は、かつて思い描かれた理想に近しい社会を築いている。汚職や公害など、開発独裁に伴う負債も、どちらかといえば早くに除かれた。未来にたいして悲観的な想像が多かったにもかかわらず、もっとも好いところへ辿り着いたように思う。

こんなにも豊かで恵まれたのは、大半は偶然だろう。さまざまな好子や思惑が重なったにすぎない。したがって、これを維持できるのは、あまりにも豊かで恵まれていることだ。もちろん、肥沃な土壌を保つには、常に悪いところを正さなければならない。モグラたたきのように、小さな悪を叩いていくしかない。

成長を見上げるよりも、足元を見下ろすほうが、種を蒔いて土を耕しやすい。