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常識を疑う姿勢をもつひとは、非常識な行動ばかり執っている、と誤解される。

非常識な行動は、社会の抵抗が大きく、あまり利を得られない。むしろ損を被むる。どうしてそんなことをおこなうのか、と訊かれたとき、相手を納得させられる理屈を訴えられなければ、呆れられるだけだろう。

一方、非常識な思考は、利が大きい。ひとが考えないことを考える。その考えに理屈を通せば、新たな着想が生まれる。商売に用いれば、競合しないまま独占できる。説得できれば、他者を動かせる。非常識とされたものが新しい常識に、その常識が正しい常識とされるかもしれない。

どんなものも疑って、どんなことも背いて、いつも反対の立場を採る、というだけでは巧くいかない。やはりユニークでオリジナルな理屈が欠かせない。その理屈の有無によって、「反対」の価値は大きく異なる。その理屈を持ち合わせていなければ、呆れられるだけだろう。

常識の多くは、確たる理屈を有する。特に、社会における行動にかかわるものは、おおよそ正しい。正しいものには従ったほうがよい。こんなところでユニークネスやオリジナリティを競っても虚しい。

たとえば服装には、正誤が少ない。寒さを防ぐとか、露わを隠すとか、前提のほかは自由である。流行に乗っていなくても、抗っているわけではない。正誤の少ないところでオリジナリティを発散するのは難しい。どのように扱っても、はじめからユニークなのだ。

ファッションやアクセサリは、一見すればユニークと誉めそやされやすい。しかし、確たる理屈を持ち合わせていなければ、ただの「飾りもの」にすぎない。本質や中身にこそオリジナリティが欠かせず、それが、ほんとうの「新しさ」をもたらす。

非常識に飾る行動よりも、常識を覆す理屈に、価値がある。