小川軽舟 | 第二ステージ

日本現代詩歌文学館 2013年度常設展図録「明日から吹いてくる風」

第二ステージ | 2013.3.11と詩歌、その後


詩歌は私たちの思い出を刻みつけるものだという考えが、私の中で年ごとに強まっている。古い新聞のスクラップのような色あせた記録ではない。私たち民族の記憶をその時の鮮やかさのままに呼び覚ますためのものだ。

俳句という文芸は、とりわけ作者と読者の思い出の共有に負うところが大きい。たった五七五、十七音の言葉で何かを伝えようとしてもその器はあまりにも小さい。しかし、それだけの言葉でも、それを契機に読者に何かを思い出してもらうのだと考えれば、器を超えた無限の広がりが得られる。

季語は思い出の共有のためのキーワードである。例えば桜という一語だけで、作者と読者はさまざまな思い出を共有できる。その思い出は文芸の歴史を遡って古代にまで達するものだ。

まさに、

 さまざまな事思ひ出す桜かな 芭蕉

なのである。

近代の詩歌が最も広く深い思い出を刻んだのは太平洋戦争だろう。終戦から六十七年を経た今でも、戦争の思い出は刻まれ続けている。

 八月や六日九日十五日

八月になると毎年のように目にする類想句である。六日、九日の原爆の日に続いて十五日の終戦の日を迎える八月は、民族をあげて戦争の思い出をあらたにする月だ。

しかし、俳句が過去ばかりを志向するものであってはなるまい。社会性俳句や前衛俳句が下火になったあと、俳句はゆるやかな伝統回帰の道を歩んだ。戦争は詠まれ続けても、例えば高度経済成長を象徴する作品、バブル経済を象徴する作品を挙げることは難しい。俳句はどこを見ていたのか。

生活様式の変化とともに季語の世界も古びつつある。歳時記の生活の部の世界が現実に存在したのは昭和三十年代までだった。昭和三十六年生まれの私にはかろうじて蚊帳の記憶があるが、それ以降の世代には見たこともないものになった。

東日本大震災と原発事故は、戦争と昭和の記憶に安んじてきた私たちを根底から揺さぶるものだった。俳句は長らく時事を詠むのに適さないと言われてきた。しかし、震災は時事ではない。民族の悲しみそのものだ。

 瓦礫の石抛る瓦礫に当たるのみ 髙柳克弘

若手俳人の髙柳は津波跡の瓦礫の山を目の当たりにして季語の限界を感じた。震災は季語の心地よい世界にまどろむことを許さなかったのだ。そして、震災を機に今更ながら気づいた日本の現実がある。経済は活力を失い、社会はさまざまな問題をはらんで疲弊している。その中で生きる私たちの思い出をどう刻んでいくのか。震災詠そのものはいわば第一ステージ。これからはむしろ、震災後の現代をどう詠むのかという長い第二ステージが始まるというべきだろう。思い出は食いつぶすものではなく、皆で作っていくものなのだ。

 丈夫なり妻と昭和の扇風機 杉浦正章

これは私が選者を務める毎日俳壇の投稿句である。妻とともに昭和、平成と生きてきた軌跡の先に原発事故以後の節電の夏があるのだ。現代という時代を自分自身のものとして詠んでいる。こうした積み重ねがこの生きにくい時代を思い出にするのだと思う。