小川軽舟 | 俳人100名言

角川学芸出版 「俳句」2013年04月号

俳人100名言


〔人生観〕

痛い事も痛いが綺麗な事も綺麗ぢや

正岡子規 「墨汁一滴」明治34年

「ガラス玉に金魚を十ばかり入れて机の上に置いてある。余は痛をこらへながら病床からつくづくと見て居る。痛い事も痛いが綺麗な事も綺麗ぢや」。これが「墨汁一滴」明治三十四年四月十五日の全文。子規は死の前年で病状は既に凄惨だった。

私の句に、

 死ぬときは箸置くやうに草の花

というのがあるが、これは願望であって、そんなうまい死に方ができる自信はない。ただ、どんな末期を迎えるにしても、この世を見渡して「綺麗な事も綺麗ぢや」と思える精神の健康を手放さずにいたい。そうでなければ、長いこと俳人を続けてきた甲斐がないと思うのである。


〔俳句理念〕

どうしたら愚昧な俳人になれるのであるか

藤田湘子 「俳句以前」昭和57年

藤田湘子の作風の転換となった評論「愚昧論ノート」の最後に、「どうしたら虚子に近づくことが出来るか。あるいは、」に続いて置かれた自問である。

馬酔木の若きスターとして「カッコいい」俳句を追い求めていた湘子は、「馬酔木」を離れてその浅はかさに気づく。毛嫌いしていた虚子俳句を見直し、「一日十句」の多作で自分の俳句を変えようとした。

 芋の葉の大きな露の割れにけり 湘子

例えばこんな単純な写生句は、それまでの湘子の作風にはなかったものだ。

俳句において愚かさは自分の器を超えた世界を呑みこむ契機になる。「カッコよく作ろうとしていないか」、湘子の声に私の声を重ねる。


〔作句技法〕

短い散文で何が言へるか

石田波郷 「俳句研究」昭和18年9月号

韻文精神徹底を訴え、現代俳句に古典俳諧の格調を取り戻そうとした波郷が、俳句の散文化の風潮に抗って切った啖呵のような言葉である。波郷は俳句の散文化の原因を「俳句をやりながら、近代の文学的な饒舌を欲したからに他ならないのである」と断じた。

掲出の言葉の後には、「十七字は字数ではないのである」とある。「字数ではない」とは意味内容を伝える容量ではないという趣旨だろう。読み手の想像力を鼓吹する十七字の凛々しい風姿こそが俳句である。

 雁やのこるものみな美しき 波郷

間もなく波郷は、この韻文精神そのもののような留別の句を残して出征した。掲出の言葉とこの句はいつも私の胸を勇気で満たしてくれる。


〔その他〕

関東の時雨は只の田舎雨である

飯島晴子 「飯島晴子読本」平成13年

和歌・連歌の時代から続く伝統的な季語は都であった京都の風土に由来している。時雨はその典型だと知ってはいるが、京都出身の晴子に「上方の時雨の、寂しく華やいだ複雑な味わいに比べると、関東の時雨は只の田舎雨である」と言われるとぐうの音も出ない。

 翠黛の時雨いよ/\はなやかに 高野素十

寂光院で詠まれたこの句のような時雨は、上野にも銀座にも横浜にもけっして降らないのである。

晴子は関東の田舎雨を嫌ったわけではない。晴子と同様に京都から関東に移り住んだ中世の連歌師心敬の塚がその田舎雨に濡れているのに親しく心を寄せる随筆がある。自分の心に適った季節の風景を自分の言葉で見出せということなのだ。