小川軽舟 | 俳句の「場」が変わる

毎日新聞出版 「俳句あるふぁ」2018年秋号

俳句とIT | 平成の暮れに


囲碁や将棋の世界でトップ棋士がAIに敵わなくなった。今ではAIからどう学ぶかに棋士はしのぎを削っている。AIはこれまでの定跡に囚われずに指す。それを新たな戦法として取り入れようというのだ。これがゲーム感覚に慣れた若い棋士への世代交代を後押ししているらしい。

それでは、俳句の世界はどうか。AIが小説を書くという話もあるくらいだから、俳句を作ることなどAIには簡単なことだろう。いずれはAI俳人の時代が来るのか。これは最後に考えてみたい。

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俳句とITというテーマで平成を振り返るのがこの稿の目的である。情報技術を意味するITという用語が普及したのはいつ頃だったか。わたしが社会人になったのは昭和五十九年(一九八四)。ITの端緒は見られたものの、それはオフィス・オートメーション、略してOAと呼ばれていた。オフィスにパソコンやワードプロセッサー(ワープロ)が入り始め、やがて個人で買えるものになる。私もOASYSという富士通のワープロを買った。親指シフトでブラインドタッチを覚え、職場で「芭蕉は俳人」と一瞬で打ってみせたら同僚が目を丸くした。

家にワープロがあるのは便利だった。私は昭和六十一年に「鷹」に入会し、鷹新人会に加わった。新人会の会報は在京の会員が輪番で担当して全国の会員に郵送していた。手書きだった会報を、私はワープロで作るようになった。自分の俳句もワープロに記録した。これはのちに句集をまとめるときに役立った。毎月の「鷹」への投句もワープロに記録していたから、それをまとめて打ち出して師匠の藤田湘子に送り、第一句集に載せる句を選んでもらった。いちいち清書する必要がないから楽だった。

ワードプロセッサーの名前の通り、とても便利な筆記用具を手に入れたという印象だった。それがITの第一歩だったと言えるが、ワープロがパソコンの一機能になった今も便利さは変わらない。

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ITの進展に画期的な役割を果たしたのは、世の中においても、俳句の世界においても、インターネットである。インターネットのサービスは日本では平成四年(一九九二)に始まった。社会に急速に浸透したのは平成十二年あたりからだ。通信速度が上がり、グーグルやアマゾンのサービスが始まった。これらは私たちの現在の生活にもはや欠かせないものになっている。平成十二年の流行語大賞は「IT革命」。それが社会に革命と呼ぶほどのインパクトを与えるという予想は間違っていなかった。

俳句の環境をインターネットはどう変えたか。まず、遠く離れていてもメールを通して仲間と簡単につながることができる。ファックス句会などより手軽に通信句会ができるようになった。ミクシィなどのソーシャルネットワーキングサービス(SNS)を利用して仲間を募り、顔を知らない者同士で句会を楽しむ人たちも現われた。

そうした便利さ以上に影響が大きかったのは、新聞や雑誌といった紙の媒体とは異なる情報発信が容易になったことだろう。私はかつて『俳句年鑑二〇〇八年版』に「インターネットと俳句の『場』」という原稿を寄せた。当時の私が俳句の新しい「場」として注目したのは、平成十九年四月に「創刊」された「週刊俳句」だった。「週刊俳句」は雑誌のような構成をとり、毎週新しい号がインターネット上にアップされる。運営にあたる西原天気の言葉がインターネットの時代らしくて印象的だった。

<基本は「書きたい人が書きたいことを書きたいときに書く」。ここに「党派」はありません。「週刊俳句」は同人でも集団(グループ)でもなく、組織ですらありません。「場」を用意してみた、ということなんです>

それまでの俳句の「場」は、それぞれが会員を抱えて閉じた俳句結社だった。それに対して「週刊俳句」は、インターネットの特性を生かしてオープンで無料の「場」を提供したのである。この新しい「場」は、俳句総合誌などと比較して、情報の送り手と受け手の距離がとても近い。総合誌に作品を発表しても存在の見えなかった読者が、「週刊俳句」ではすぐに目の前にいるような感覚がある。読者がすぐに反応を返すことができるからだ。

「週刊俳句」のような形でなくとも、個人のブログで俳句作品、俳句評論はたくさん発信されている。グーグルの検索機能を使えば、例えば「小川軽舟」について書かれた記事にたどり着ける。紙の媒体では見えなかった自分の作品の読者に出会えるのだ。俳句結社ももはやインターネットを無視できない。多くの結社がホームページを作って会員を勧誘している。

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スマートフォン(スマホ)の登場はITの時代をさらに身近なものにした。平成二十年にアップルのアイフォーンが発売され、同年にフェイスブックとツイッターという二大SNSが始まった。インターネットを使う機器の主役はパソコンからスマホに代わり、私たちはいつどこにいてもスマホを通じて世界中とつながることができるようになった。

「鷹」は平成二十六年に創刊五十周年を迎えた。それを記念して刊行したのが、創刊以来の推薦句を中心に一万六千く近くを季語別に収録した『季語別鷹俳句集』である。その後、発行元のふらんす堂から、これをスマホのアプリにしないかとの提案を受けた。願ってもない話だと飛びついて、二年後にアプリができた。

アプリにすることでデータベースとしての使い勝手が格段によくなる。まずは検索機能があること。『季語別鷹俳句集』は「鷹」の歩みそのものだが、さまざまな切り口で検索し、作品を抽出できる。そして追加と修正が容易なこと。毎号の推薦句がその都度アプリに追加される。自分の句がアプリに入ることが、会員にとって大きな励みになっている。

インターネットには俳句についての夥しい情報が存在する。私たちはそこで多くの俳句に触れることができる。それらはすべて無料だ。それに対してアプリは有料である。その代わり「鷹」の公式の情報として責任をもって発信している。一度購入すればその後の更新は無料で享受できる。このアプリがひな形になって同様のデータベースが増え、俳句の世界の財産になっていけばうれしく思う。

このアプリを買うためにスマホを買ったという会員も多い。これを機に多くの会員がスマホを使いこなすようになれば、SNSを使った会員の交流もできるようになるだろう。それは「鷹」の活動を外部に発信する機会にもなる。「鷹」ではSNS活用プロジェクトをスタートさせたところだ。

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ITによって未来の私たちの生活が大きく変わっていくのと同時に、私たちの俳句をめぐる環境も大きく変わっていくだろう。俳句は紙に縦書きで書くものだという感覚からは違和感も生まれることと思う。私は吟行に句帳を携えることがなくなった。スマホで打ってパソコンに送れば済むからだ。しかし、俳句という詩型はそのようなことでへたるほどヤワなものではないと信じている。ITの時代に俳句がどういう進化を遂げるのかをむしろ楽しみたい。

さて、冒頭の問いに戻って、AIは俳人になれるのだろうか。AIが深層学習によってすぐれた俳句を作れるようになることは十分にあり得る。膨大な俳句を記録して類句を排除することなどお手のものだろう。しかし、考えてみると私たちはなぜ俳句を作るのか。作った俳句が人に読まれ、褒められるのが喜びだからである。しかし、AIにその喜びがわかるだろうか。

棋士がAIから学ぶように、AIに俳句を作らせて投句する時代が来るかもしれない。では、その句が褒められたとき、その人は喜びを感じるだろうか。俳句は自己表現である。それが褒められて喜ぶのは、俳句が自分自身だからだ。ITがどんなに進んでも、俳句はあくまで私たち人間のものなのだと私は思う。


小川軽舟 「鷹」主宰