小川軽舟 | 湘子先生の思い出

NHK出版 「NHK俳句」2019年06月号 

湘子先生の思い出 | わが師を語る


藤田湘子の創刊した「鷹」の主宰を湘子没後に私が引き継いで十四年が過ぎた。それでも「鷹」には今も随所に湘子の目が光っている。例えば誌面のレイアウト。「鷹」のレイアウトには、その基本を作った湘子のセンスが息づいている。

湘子が亡くなるまでの六年間、私は「鷹」の編集長を務めた。例会の休憩時間に湘子の買ってきた饅頭をつまみながら、あるいは飲み会が終って帰る湘子のタクシーに乗せてもらいながら、私は俳人として生きていくための知識や姿勢を湘子から教わった。レイアウトも湘子に叱られながら覚えた。

湘子は豪放磊落なように見えて、意外と几帳面なところがあった。レイアウトにもそれが現われる。原稿依頼は編集長の大事な仕事だが、レイアウトを固めてから依頼するのが当然のことだった。注文通りの原稿がもらえれば必ずぴったり誌面に収まる。原稿の末尾が空いてカットで埋めるなどということを湘子はいちばん嫌った。今でも「鷹」はページの末尾を決して空けない。そうしないと泉下の湘子の叱声が聞こえてきそうなのだ。

レイアウトも丁寧だったが、俳句作品においても湘子は一句一句を丹念に作り上げるタイプだった。「うすらひは深山へかへる花の如」を頂点とする句歴前半の過程では、特にそういう作り方をしていた。しかし、サラリーマンを辞めたのを機に、湘子は大きな転換を図る。それが「一日十句」だった。

「一日十句」は毎日休まず一日に十句以上を作り、それをすべて「鷹」に発表するという多作修業だった。それを湘子は三年間やり抜いた。その緻密な計画性が湘子らしくもあるのだが、俳句の作り方は大きく変わった。即興が増え、写生が増え、ユーモアが増え、身辺詠が増えた。「一日十句」なくして晩年の湘子の自由闊達な作風はなかっただろう。

私が湘子に入門したのは「一日十句」の最中だった。そして、私はいつの間にか湘子が「一日十句」をやっていた年齢になっている。うかうかしてはいられない。


小川軽舟 おがわ・けいしゅう
昭和36(一九六一)年、千葉県生まれ。東京大学法学部卒業。昭和61年、「鷹」入会、藤田湘子に師事。平成11(一九九九)年、「鷹」編集長。平成17年、藤田湘子逝去により「鷹」主宰を継承。句集『近所』(第25回俳人協会新人賞)、『手帖』『呼鈴』『俳句日記2014 掌をかざす』。著書『魅了する詩型 現代俳句私論』(第19回俳人協会評論新人賞)、『現代俳句の海図』『藤田湘子の百句』『俳句と暮らす』他。毎日新聞俳壇選者。