小川軽舟 | わが師を語る

NHK出版 「NHK俳句」2019年06月号 

第39回 藤田湘子 | わが師を語る


藤田湘子(ふじた・しょうし)

大正15(一九二六)~平成17(二〇〇五)年。神奈川県生まれ。昭和17(一九四二)年、中学在学中に水原秋櫻子を知り、「馬酔木」に投句。20年、工学院工専(現・工学院大学)中退後、東部第八七部隊を経て、鉄道省に勤務。22年、「馬酔木」の巻頭、23年、馬酔木賞(現・馬酔木新人賞)を受賞。翌年、同人となる。32年、「馬酔木」編集長就任、第4回馬酔木賞受賞。33年より国鉄本社勤務。39年、「鷹」創刊。42年、「馬酔木」編集長を辞任、翌年、「馬酔木」を退会。58年、新しい境地を拓くべく、「一日十句」に取り組み、以降三年間「鷹」誌に発表。平成12(二〇〇〇)年、句集『神楽』で第15回詩歌文学館賞受賞。

他の句集に、『途上』『雲の領域』『白面』『狩人』『春祭』『一個』『去来の花』『黒』『前夜』『てんてん』『藤田湘子全句集』、著書に『実作俳句入門』『20週俳句入門』『俳句作法入門』『秋櫻子の秀句』『俳句好日』『句帖の余白』などがある。


 雁ゆきてまた夕空をしたたらす 『途上』(昭和30年)

若き日の湘子の俳句を特徴づけるのは、師事した水原秋櫻子の影響の下で育まれたみずみずしい抒情性だ。

 愛されずして沖また遠く泳ぐなり 『途上』(昭和30年)

小田原の海辺で生まれ育った湘子の代表作。孤独を揺曳したこの句は、まばゆい青春への挽歌とも言える。

 月下の猫ひらりと明日は寒からむ 『雲の領域』(昭和37年)

「ひらりと」までは猫の描写。そこから「明日は寒からむ」と内面の独白に転換する叙法が鮮やかだ。

 海藻を食ひ太陽へ汗さゝぐ 『白面』(昭和44年)

「『鷹』創刊」の前書がある。東京オリンピックの年。時代も湘子もぎらぎらしてエネルギッシュだった。

 口笛ひゆうとゴッホ死にたるは夏か 『白面』(昭和44年)

破調なのに声に出して読んでみると意外に覚えやすい。五七五の定型を信頼しつつ、それに挑みかかっている。

 枯山に鳥突きあたる夢の後 『狩人』(昭和51年)

一羽の鳥になってまっしぐらに枯山に突っ込んだところで目が覚めた。茫漠としていながらなまなましい。

 筍や雨粒ひとつふたつ百 『狩人』(昭和51年)

「雨粒ひとつふたつ百」が驟雨の始まりを描いて鮮やか。初夏の篁の真っ青な空間がそこに立ち現れる。

 うすらひは深山へかへる花の如 『春祭』(昭和57年)

湘子の句業の前半の頂点をなす一句。眼前の薄氷から深山の桜まで、美意識が大きく翼を広げている。

 鯉老いて真中を行く秋の暮 『春祭』(昭和57年)

五十代半ばで長年勤めた国鉄を退職して俳句専業になった。「真中を行く」に自負を籠めた自画像である。

 夕ぐれのづかづかと来し春の家 『一個』(昭和59年)

湘子は昭和五十八年春から三年間、「一日十句」の多作を実践した。この句の自在な発想もその成果。

 物音は一個にひとつ秋はじめ 『一個』(昭和59年)

例えばテーブルにコップを置く音。秋のはじめのさやけさが、一つ一つの物音を確かなものにする。

 藤の虻ときどき空を流れけり 『去来の花』(昭和61年)

それまで写生句を作らなかった湘子に「一日十句」は多くの写生の秀句をもたらした。いかにも虻だ。

 真青な中より実梅落ちにけり 『黒』(昭和62年)

この句も「一日十句」時代を代表する写生句。「真青な中より」の無造作な表現で空間をつかみ取った。

 月明の一痕としてわが歩む 『前夜』(平成5年)

清らかな月明かりの下で、自分を「一痕」と見た屈折がこの句の決め手。「一点」だったらどれほど平凡か。

 湯豆腐や死後に褒められようと思ふ 『前夜』(平成5年)

死後にこそ真価が問われる。湯豆腐でくつろぎながらも生前の評価など当てにすまいという覚悟を見せる。

 葛飾や一弟子われに雁わたる 『神楽』(平成11年)

「葛飾」は秋櫻子の処女句集名。無念な別れ方をしただけに、師への思いは老いても心を波立たせた。

 あめんぼと雨とあめんぼと雨と 『神楽』(平成11年)

省略を極めて意匠化された内容に、字足らずのリズムが響く。俳句はリズムだと湘子は繰り返し説いた。

 天山の夕空も見ず鷹老いぬ 『神楽』(平成11年)

天山はシルクロードに聳える山々。憧憬と諦念の入り交じるこの句の鷹には湘子の人生が重ねられている。

 ちゆと吸へば土用蜆もちゆと応ふ 『てんてん』(平成18年)

病気からの回復を信じて蜆の身を吸う。季語と戯れながら、ほのぼのとエロティシズムが立ちのぼる。

 死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ 『てんてん』(平成18年)

死後に残された句帖に「無季」の前書とともに書きつけられていた。季語に満ちたこの世との訣別の辞である。


小川軽舟 おがわ・けいしゅう
昭和36(一九六一)年、千葉県生まれ。東京大学法学部卒業。昭和61年、「鷹」入会、藤田湘子に師事。平成11(一九九九)年、「鷹」編集長。平成17年、藤田湘子逝去により「鷹」主宰を継承。句集『近所』(第25回俳人協会新人賞)、『手帖』『呼鈴』『俳句日記2014 掌をかざす』。著書『魅了する詩型 現代俳句私論』(第19回俳人協会評論新人賞)、『現代俳句の海図』『藤田湘子の百句』『俳句と暮らす』他。毎日新聞俳壇選者。